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『老子』09運夷第九:持ちてこれをみたすは

『老子』本文・訳文

原文

四部叢刊初編

持而盈之,不如其已;揣而銳之,不可長保。金玉滿堂,莫之能守;富貴而驕,自遺其咎。功遂身退天之道。

異伝

  • 持而浧之,不不若已。揣而銳之,不可長保也。金玉浧室,莫能守也。貴福驕,自遺咎也。功遂身退,天之道也。(郭店楚簡・老子甲20)
  • 植而盈之,不□□□□□□之□之,□可長葆之。金玉盈室,莫之守也;貴富而驕,自遺咎也。功遂身芮天□□□。(馬王堆帛書・老子甲道經9)
  • 植而盈之,不若其已;鍛而允之,不可長葆也。金玉盈室,莫之能守也;貴富而驕,自遺咎也。功遂身退,天之道也。(馬王堆帛書・老子乙道經9)

書き下し

たも之を盈たすは、其の已むに如か不。そろへ而之をぐは、長く保つ可から不。たかきかねに滿つるは、之を守る能ふる莫し。富みたかくし而驕るは、自ら其のとがを遺す。功遂げて身退くは天之道なり。

現代日本語訳

直訳

手に握ってそれを一杯にするのは、それを止めるには及ばない。長さを揃えてそれらを整備するするのは、長く続けることが出来ない。貴金属や宝石を建物一杯にするのは、それらを守る方法が無い。冨み高い地位を得て思い上がるのは、自分で責められる理由を残す。成果を上げて身を引くのは天の方法である。

意訳

あれもこれもと欲しがり、両手一杯に持つよりも、さっさと欲しがるのを止めた方がいい。道具の寸法を揃えて、その全てをいつでも使えるように手入れするのは、長続きするはずがない。貴金属や宝石を蔵一杯にため込んだら、泥棒を防ぐ方法が無い。金儲けして高貴な身分にのぼり、思い上がった行為にふければ、自分であとあと、よってたかって人に叩かれる原因を積み重ねる。

功績を達成したら、さっさとその地位から身を引くのは、天ほど上手な生き方である。

訳注

持而盈之

”手に持って一杯のままにしておく”。「盈」(漢音「エイ」、カールグレン上古音di̯ĕŋ平)は「盛」(カールグレン上古音ȡi̯ĕŋ平/去)の類字。いっぱいにすること。上古音発声記号の ̥は無声音(喉を震わさない)を、 ̯は音節副音(二重母音の弱い方)を、 ̆は超短音を示す。

『学研漢和大字典』「盈」条

  1. 動詞・形容詞}みちる(みつ)。いっぱいになる。たっぷりとあるさま。《類義語》満・溢(イツ)。「虚而為盈=虚しくして盈てりと為す」〔論語・述而〕。「有酒盈樽=酒有りて樽(たる)に盈てり」〔陶潜・帰去来辞〕
  2. {動詞}みたす。いっぱいにする。「持而盈之=持してこれを盈す」〔老子・九〕

音は中国語の無音とは異なる。例えばロシア語では語末の有声音は無声音に読むことになっており、ロシアの第二の都市で古都Санкт-Петербургは、文字通り読むと「サンクト・ペチェルブルグ」だが、おしまいは喉を震わさず「ク」と発音して、「サンクト・ピチェルブールク」と読む。

不如其已

”やめておくのには及ばない”。止めるのが一番いいということ。

揣而銳之

”数を揃えて整備する”。「揣」の漢音・呉音は「スイ」。慣用音は「シ」。

『学研漢和大字典』に下掲のようにあるので、”整備して・整備する”とも解せるが、漢字は方言の違いでなければ、字が異なれば語義が異なる。またから、「揣」の字形は〔耑〕”みずみずしいイネ科植物”+〔扌〕”手を加える”→”切りそろえる”だから、辞書通り”寸法を揃える”と解した。

矢のように、長さを揃え先をとがらせる必要のある道具を想像できる。

『学研漢和大字典』「揣」条

  1. {動詞}そろえる(そろふ)。おさめる(をさむ)。きちんとそろえる。きちんとそろうように調整する。寸法をそろえる。《類義語》斉(そろえる)。「不揣其本而斉其末=其の本を揣へずして其の末を斉ふ」〔孟子・告下〕。「揣而鋭之=揣へてこれを鋭くす」〔老子・九〕
  2. {動詞}はかる。寸法や重さをはかる。《類義語》計。
  3. {動詞}はかる。おしはかる。《類義語》推・測。「揣摩臆測(シマオクソク)(当て推量をする)」。

不可長保

”長くその状態ではいられない”。漢語「可」は日本古語「べし」と訓読するが、両者の間には若干の意味の違いがあるので注意。

『学研漢和大字典』「可」条 『学研古語辞典』「べし」条
  1. 「~できる」と訳す。可能の意を示す。
  2. 「~するのがよい」「~すべきだ」と訳す。当然・勧誘の意を示す。
  3. 「~にあたいする」「~してもよい」と訳す。認定・認可・評価の意を示す。
  1. 〔推量〕…にちがいない。きっと…だろう。(当然)…しそうだ。
  2. 〔意志〕(必ず)…しよう。…するつもりだ。…してやろう。
  3. 〔可能〕…できる。…できそうだ。…できるはずだ。
  4. 〔適当・勧誘〕…(する)のがよい。…(する)のが適当である。…(する)のがふさわしい。
  5. 〔当然・義務・予定〕…するはずだ。当然…すべきだ。…しなければならない。…することになっている。
  6. 〔命令〕…せよ。

日本の国語教科書(だけ)に名高い『十八史略』で、暴君紂王を周の武王が討伐しようとした際、集まった諸侯が「紂伐矣」と口々に言ったとされるのを、”紂王を討伐すべきです”と訳してよいが、今一歩踏み込むのが訳者の好み。このくだりは「王不可引歸」”武王はダメだ(=出来ない)と言って帰った”と続くから、”紂王を討伐してください”か、”討伐して当然の悪党だ”と記したいところ。

西伯卒。子発立。是為武王。東観兵至於盟津。白魚入王舟中。王俯取以祭。既渡。有火。自上復于下、至于王屋、流為烏。其色赤、其声魄。是時 諸侯不期而会者八百。皆曰、「紂可伐矣。」王不可。引帰。紂不悛。王乃伐紂。載西伯木主以行。


西方辺境伯の姫昌が世を去り、子の発が後を継いだ。ここで(宗主の殷に挨拶もせず、勝手に)武王を名乗った。

(すでに殷をなめきっていたので、)領地の東方で軍事パレードをしながら黄河の盟津の渡し場へ押しかけた。すると武王の乗った舟に白い魚が飛び込んだので、王は腰をかがめて魚を手に取り、お供えにして(チンチンドンドンと)お祈りをした。そうしているうちに舟が対岸に着いた。

すると火の玉が天から飛び下ってきて、王のテントにくっつくと、ぐるぐる回って火事になると思いきや、カラスに化けた。その色は真っ赤で、その声は低くおどろおどろしかった。

この時、武王が呼びもしないのに諸大名が勝手に集まってきて、その数は八百家に及んだ。大名どもが「紂王を討伐しておしまいになさいませ」と(なぜか同格の)武王に(腰を低くして)言ったが、武王は「ダメじゃ」と言って、軍を引き連れ領地に帰ってしまった。(「これで援軍は十分揃うわい、もう天下はワシのもの」とほくそ笑んだのである。)

こうやって軍事パレードをしても、紂王が暴政を悔い改めなかったので、武王はすぐさま紂王を討伐することにした。父親の姫昌の位牌を馬車に乗せて出陣した。(『十八史略』巻一周)

『十八史略』を書いた南宋の曽先之は、この部分は筆が乗って、子供が喜ぶような奇妙キテレツを書き加えたと見える。『十八史略』は正史のダイジェストだが、下掲の通り『史記』の相当部分は誠にあっさりして終わる。こっちがダイジェストなんじゃないかと言いたくなる。

西伯既卒,周武王之東伐,至盟津,諸侯叛殷會周者八百。諸侯皆曰:「紂可伐矣。」武王曰:「爾未知天命。」乃復歸。紂愈淫亂不止。


西伯姫昌が世を去ると、周の武王が東方の殷を征伐に出かけた。盟津に押し寄せると、殷に背く大名が八百家集まった。諸侯がみな言った。「紂王を討伐しておしまいになさいませ。」武王が言った。「そなたらは天の命令というものを知らない。」そのまま引き返した。紂王はますます無茶苦茶をやめなくなった。(『史記』殷本紀)

なおこのあとに引き続く伯夷・叔斉のくだりは、曽先之も下らないと思ったらしく、『史記』をほとんどそのまま引き写している。

伯夷叔斉叩馬諫曰、「父死不葬、爰及干戈、可謂孝乎。以臣弑君、可謂仁乎。」左右欲兵之。太公曰、「義士也。」扶而去之。


(草むらに潜んでいた)伯夷と叔斉が、武王の車の引き馬に飛び付いてイヤガラセを言った。「父上が亡くなったのに葬式も出さない。代わりに戦争を始めた。親不孝にもほどがある。家臣の分際で主君を殺そうとしている。お前さんはろくでなしだ。」怒った衛兵が武器を向けた。

太公望「ハイハイご立派ご立派、ちょっとあっちへ行こうね。」衛兵に言い付けて、しがみついている二人を馬から引きはがし、「オイ! こいつらをどっかに捨ててこい。」(『十八史略』巻一周)

何のことはない、中国史上最古のニート兄弟が、「黙っていて欲しければ官職をよこせ」と騒いだ迷惑行為で、やったことは街宣左右翼と変わらない。「功ならず身も退かず」である。とりわけ中国史では、「立派な人」と「立派だとされる人」はぜんぜん別なので、キッチリ区別せずばなるまい。

中国での『十八史略』の扱いは、子供向け歴史物語のかび臭い古本といったところで、「中国哲学書電子化計画」にはテキストデータこそあるものの、雑に機械認識しただけの文字列で役に立たず、未だに校正しようとする篤実者も現れないらしい。

金玉滿堂

”貴金属や宝石が建物いっぱいに満ちるほどある”。

「金」は漢代ごろまでは黄金より青銅を意味した。青銅は鋳たての場合金色が普通で、銅にスズを混ぜた合金だが、スズは地殻中に質量比で約0.00022%しかない。銅も約0.005%しかなく、石ころの主成分・ケイ素が地殻に28%だから、その貴重さがおおよそ分かるだろうか。始皇帝が統一戦争完了後に天下の武器を集めて溶かし、作ったとされる「金人」も、青銅の像であり黄金像ではない。まして家臣に金粉ショーを演じさせたわけでもない。

分天下以為三十六郡…大酺。收天下兵,聚之咸陽,銷以為鐘鐻,金人十二,重各千石,置廷宮中。


天下を三十六の郡に分けて…大宴会を行った。天下の兵器を没収して、全て都の咸陽に集め、鋳溶かして鐘撞き堂付きの鐘と、青銅の象十二を作ったが、それぞれの重さは千石(約256kg?)あり、宮中に配置した。(『史記』秦始皇本紀)

「玉」はダイヤモンドやサファイアといった現代的な宝石ではなく、前近代中国ではヒスイや大理石がことのほか好まれた。なお「玉」を”まるいもの”と解するのは日本語での解釈。漢語では「球」が”まるいもの”を表す。またおなじ”たま”でも輪形のものを「環」、「環」の一部を欠いたものを「ケツ」、円形で真ん中に穴が開いたものを「ヘキ」という。

「堂」の原義は”大きな建物”で、建物一棟を指した。のち、”表座敷”を意味するようになった。『老子』本章も”表座敷いっぱいに宝物を満たす”と解してもよいが、「持而~其咎」までは”限度一杯”の礼をそれぞれ挙げているのだから、本章も”財宝一部屋分”というみみっちいものではなく”蔵一杯”と読んだ方が理にかなう。なお「蔵」は主に宝物を、「倉」は主に穀物を、「庫」は主に車など道具類を納めるくら。

伝統的な中国家屋の間仕切りは、下掲が標準とされる。

莫之能守

”これを守る方法がない”。中国語は古来から一貫してSVO型の言語だが、否定文は例外的に「否定辞→目的語→動詞」の語順を取り得る。また日本語の「なし」は形容詞だが、漢語の「莫」「無」は動詞。従って「莫~」の現代日本語訳は”~が無い”となる。「莫」の原義は草むらに日が沈むさまで、”暗い”→”無い”へと派生した。


(甲骨文)

「能」の字形は、肉などを煮込んだ栄養満点のシチューとカトラリーの組み合わせ。詳細は論語語釈「能」を参照。

富貴而驕

”財産が多く、地位身分が高く、おごりたかぶる”。「驕」は馬が高く跳ね上がるさま。

自遺其咎

”自分で自分の責められる原因を残す”。残った原因が積もり積もって、やがて寄ってたかって非難され攻撃され、財産も地位も失うよ、ということ。

功遂身退天之道

”功績を達成したら引退するのは天ほど高いよい方法である”。『老子』第八章「居善地」”行動しやすい場に身を置く”と対をなす考えで、達成したらさっさとその場を誰かに明け渡した方がいい、ということ。

儒家は「天」を至高の存在として持ち上げたが、『老子』第一章では「地」とともにこの世の”入れ物”に過ぎず、奥義である「常」とは異なる。また「道」は”方法”であってこれも奥義ではない。「天之道」は素晴らしい生き方には違いないが、「道のしたがふ可きは、常の道に非ず」だから、人生論・政治論として理解すべき。

我利亡者の集まりである中国人は、古来、観念的な空理空論そのものは好まなかったことを理解すべきで、空理空論を説くのは、聞いてびっくりした人からお金をせしめるための方便に過ぎなかった。論語雍也篇3余話「宋儒のオカルトと高慢ちき」を参照。

余話

上掲「金人…千石」の重さを約256kgと計算したが、「石」はもと容量の単位で重量単位ではない。

「石」を重さの単位だと言い出した一人は、後漢中期の字書『説文解字』に清の段玉裁(1735-1815)が付けた注で、例によってずいぶん新しい人物だから本当かどうか怪しい。

或借爲䄷字、䄷、百二十斤也。


あるいは「いし」(漢音セキ)の字の音だけ記した字かも知れんわ。「䄷」は百二十斤である。(『説文解字』段注)

「かも知れん」と想像で言われても後世の人間は困る。現伝の『説文解字』「䄷」条には「百二十斤也」とあるからまあそうだんだろうが、中国の度量衡は時代によって数値が異なる。『学研漢和大字典』「斤」条には「一斤は十六両で、周代には二五六グラム、唐代以後は約六〇〇グラム、現代の中国では、五〇〇グラム」という。これをもとに計算すると、0.256kg×1,000=256kgとなる。

段玉裁の言い分には、考古学的・数理的根拠は無いものの、なんと時の朝廷の皇帝陛下によるお墨付きがある。漢字に達者なら誰でも知っている『康熙字典』(1716年)の「程」条の「註」に、「石、百二十斤也」とあり、段玉裁も鼻高々と「百二十斤」と記せた。

段玉裁が生まれたのは康熙帝の孫・乾隆帝が即位したかどうかの頃だが、康熙帝は「聖祖」と尊称されたほど、清朝にとって神聖不可侵の名君・大帝だったから、ささいな字の使いようで平気で人の首をはねる清朝治下でも、『康熙字典』に書いてあれば堂々と記すことが出来た。

しかしこの「石」の解釈が本当に、司馬遷が意図していた重さと同じとは限らない。字書・辞書の恐ろしいところはこの点で、間違いやデタラメが一旦刊行されてしまうと、九分九厘の人が信じて疑わなくなってしまう。昨今文系学問の役立たず論が激しいのも、こういう事実が背景にあるから強力だ。

だが裏を返せば、こういう重箱の隅をつ突くような作業は、辞書類の編者の誠実さを表すことにもなる。訳者手持ちの辞書で、「石」を重量の単位だとしているのは大修館『大漢和辞典』『新漢語林』、『角川新字源』、愛知大学『中日大辞典』と多いが、藤堂明保博士は頑として容量の単位とのみ記し、その手になる『学研漢和大字典』『漢字源』はそうなっている。

一般的に言って、辞書まで書ける人ならその言語の奥義を究めた人と言って差し支えないが、辞書は一人でコツコツ書くものではないから、どうしても語釈は総華的で、「持而盈之」”あれもこれもと記したがり”、ただでさえ多語義性が強くて読みづらい漢文では、どの語義で解釈していいか分からない。

だからといって、文脈だけから「とりあえずこう読めるからいいや」と恣意的に語釈を当てはめると、とんでもない誤訳をする羽目になる。訳者が漢文の一字一句を辞書引きした上で、古書体や古代音にこだわるのは、こうした落とし穴に落ちないためのオマジナイである。

もし閲覧者諸賢のうち、こんな時代に奇特にも漢文を読めるようになりたいとお考えの方がおいでなら、あるいは辞書選びに「漢和辞典ソフトウェア比較・レビュー」が参考になるかも知れない。「漢文が読めるようになる方法」と合わせ、よろしければご一読を。

なおリンク先ページで、訳者は『角川新字源』をおすすめしていないが、上掲『史記』の読解に限るなら、付録の「度量衡表」で、前漢まで「石」を重さの単位としては空欄にしており、この点は誠実に古典を反映しているといってよい。だがしかし。後漢以降の数値は、康熙帝陛下のご威光や段玉裁の人気投票にすがっていると言って差し支えないだろう。

また中国史上屈指の名君と言われる康熙帝も、ごくわずかでも自分の地位を脅かしかねない、前朝・明の帝室の年老いた生き残りを、言いがかりをつけ千切りというむごたらしい殺し方をした。もちろん一族も皆殺しにした。政治とはそういうものであり、『老子』もつまるところ政治論だから、そこをわきまえて読む必要がある。

なお康煕帝もそうだが、同じく中国史上の名君と言われる後漢光武帝を持ち上げる、無邪気なネットのページや動画を目にするたび、「あーあ」と訳者は思っている。理由は「後漢というふざけた帝国」を参照。

『老子』本文・訳文
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