原文
四部叢刊初編
天地不仁,以萬物為芻狗;聖人不仁,以百姓為芻狗。天地之間,其猶橐籥乎?虛而不屈,動而愈出。多言數窮,不如守中。
異伝
- 天地之間,其猶橐籥與?虛而不屈,沖而愈出。(郭店楚簡・老子甲12)
- 天地不仁,以萬物為芻狗。聲人不仁,以百省□□狗。天地□間,□猶橐籥輿?虛而不淈,動而俞出。多聞數窮,不若守於中。(馬王堆帛書・老子甲道經5)
- 天地不仁,以萬物為芻狗;聖人不仁,□百姓為芻狗。天地之閒,其猷橐籥輿?虛而不淈,動而俞出。多聞數窮,不若守於中。(馬王堆帛書・老子乙道經5)
書き下し
天地は仁ら不、萬物を以て芻狗と為す。聖人は仁ら不、百姓を以て芻狗と為す。天地之間は、其れ猶ほ橐籥のごとき乎?虛しくし而屈ま不、動き而愈よ出だす。言多からば數ば窮まらん、中を守るに如か不。
現代日本語訳
直訳
天地に情けは無い。万物を藁犬のようにみなしている。万能の人に情けは無い。人民を藁犬のように見なす。天地の間は、例えば袋笛のようなものだろうか。中は空っぽなのにしぼまず、動作させるとだんだんと音が出てくる。(だが人の場合は)言葉が多いと、しばしば行き詰まる。中の(空っぽ)をそのままにしておくのが一番いい。
意訳
天地に情け容赦なんか無い。万物を藁犬のように見なしているから、惜しみなく水や明かりを与えて育てもすれば、一時にして全てを破壊し尽くす天変地異も起こす。
万能の人も情け容赦なんか無い。やはり人々を藁犬のように見ているから、個別の人が困ろうと知ったことではない。社会全体がうまく治まるようにするだけなのだ。
天地の間に広がる広大な空間は、例えてみると空気袋の付いた笛のようなものだろうか。袋の中身は空っぽなのに、ぺしゃんこになることが無い。袋を押せばその都度、だんだんと音を出す。これを人間に例えるなら、はじめからべらべらとしゃべると、たびたびしくじりをやらかす。だから問われるまで、腹の内は空っぽにしておくのが一番いいのだ。
訳注
不仁
情けや哀れみの心が無い。春秋広記の孔子が説いた仁は、”貴族らしい立ち居振る舞い”だった(論語における「仁」)。これを「仁義」に言い換えて、”なさけ”の意に書き換えたのは、孔子没後一世紀に現れた孟子。従って『老子』本章は、孟子以降の戦国時代に作られた話と分かる。
「仁」を”わけへだてしない”と解するのは後漢前半の許慎が編んだ『説文解字』に「仁、親也」とあるのの拡大解釈で、そう解釈したのは有名な詩人にしてガチのサディストだった北宋・蘇東坡(蘇軾)の兄・蘇轍(1039-1112)で、遅くとも戦国時代末(~BC221)には成立した『老子』には適用できない。
蘇註天地無私而聽萬物之自然
蘇轍の注釈。「天地はわけへだてがなく、万物があるようになるように任せる。」(明・焦竑『老子翼』)
蘇氏曰:「愛而勿勞,禽犢之愛也;忠而勿誨,婦寺之忠也。愛而知勞之,則其為愛也深矣;忠而知誨之,則其為忠也大矣。
蘇軾「愛して苦労を掛けないようにするのは、鳥や子牛を可愛がるのと同じだ。真心があるのに教えないのは、女やタマ無しのすることだ。愛すればこそ苦しめる。そうすれば愛は深まる。真心があるからこそ無知を教えてやる。そうすれば真心は一層偉大になるのだ。」(『論語集注』)
蘇軾も蘇轍も「宋儒」というくくりではまともな人間ではない(論語雍也篇3余話「宋儒のオカルトと高慢ちき」)。漢文業者はもうそろそろ、こういう𠮷外の言い分を考え無しに猿まねして、世間に言いふらすのをやめたらどうかと思う。
芻狗(スウク)
「芻」は甲骨文から見え、字形は〔艸〕”くさ”+〔又〕。草を手でむしり取るさま。「狗」は”犬”。「芻狗」で”藁で作った犬”。玩具にもしたろうが、何らかの祭祀に犠牲として燃やしたこともあっただろう。
天地之間
これ以降は話が「天地」へと移るので、本来別の話だが、今は通説に従って章立てした。
橐籥(タクヤク)
「橐」は甲骨文から見え、字形は袋の口を縛った形。「籥」は西周の金文に「龠」”笛”として見え、現行字体の初出は春秋末期の金文(新收殷周青銅器銘文暨器影彙編NA0977)から。「十八年,莆(蒲)反命(令)籥,左工帀(師)即,冶●。」とあり、「籥」に”かぎ”の語釈がある事から、誓約を守る事を誓う封印の如きものとしてもちいたと見えるし、『史記』孔子世家に見える衛国の蒲邑の反乱を伝える史料かもしれない。
ともあれ『老子』本章での「橐籥」は、通説では”ふいご”と訳されているが、バッグパイプのごとき楽器だったと解した方が理にかなう。
虛而不屈
空気で膨らんだ袋は、中身は空っぽだがひしゃげることが無い、の意。「それじゃ空気はどうなるんだ」という話は、「氣」(気)という言葉が当時からあったが、必ずしも”気体”を意味しない。
動而愈出
「動」はもともと「重」いものに人が「力」を加える姿で、『老子』本章では袋を押すこと。「愈」は”次第に”。
多言數窮、不如守中
「數」は”しばしば”、「窮」は”行き詰まる”、「中」は”お腹”。バッグパイプが、袋を押されるまで鳴らないことのたとえから、人間も腹の内は空っぽにしておいた方がいいという教え。問われれば教えてもいいのだが、聖人は「行不言之教」をするものだから(『老子』養身02)、それでも言葉少なにしていた方がいいだろう、ということ。
余話
橐籥を鍛冶場で用いる”ふいご”と解したのは、『大漢和辞典』の引用に由れば明代の焦竑が著した『老子翼』で、『老子』とも人物・老子とも、ずいぶんかけ離れた時代の解釈と言わねばならない。人物・老子は孔子より年長の同時代人で、書籍『老子』は遅くとも戦国末(~BC221)までには成立したが、焦竑の生誕までは1761年の時代差がある。
対して南北朝以前の『老子』注釈の一つ、河上公注では、「橐籥中空虛,人能有聲氣。」”橐籥の中は空っぽだが、人はその中に呼気を詰めることが出来る”とある。また同じく「虛而不屈,動而愈出」について、「言空虛無有屈竭時,動搖之,益出聲氣也。」”つまり、空っぽだが空気がつきてしぼむ事が無ければ、力を加えて揺すれば、ますます呼気が出てくるというわけだ”という。「聲氣」”呼気”とわざわざ断っていることから、河上公のつもりでは橐籥はふいごではなくバッグパイプだろう。
バッグパイプといえばスコットランドなど西洋のものと思いがちで、現に中国から出土したという話は寡聞にして知らない。だが革の袋に竹の笛という組み合わせは、よほど条件がよくなければ残らないはずで、出土しないから無いと言い切ってしまうのはためらわれる。
バッグパイプはおそらく、中国では古代にはあったが、明代までに亡びてしまったのが真相ではあるまいか。
エジプトのアールグール、イラクのマトブチなど、西アジアから北アフリカに見られるドローンとチャンターを兼ねた複管を備え、循環呼吸で演奏される笛がバグパイプの原型と考えられている。(wikipedia「バグパイプ」条)
訳者は『論語』の研究では、「春秋時代以前の出土が無い漢字は孔子の発言ではなく後世の創作」という立場を取った。ただし留保条件として、「今後出土があればその限りでも無い」とした。だから楽器「橐籥」が現在中国から出土しないことについても同様に思っている。
それ以上に漢字の組み合わせとして、「橐」”口を縛ったふくろ”+「籥」”竹の笛”というセットで出てくるからには、中国史的にはごく最近でしかない、明代の儒者が想像で言ったことを、真に受ける気にはなれない。真に受けている「専門家」がほとんどだが、訳書を出すなら一字一句字書を引き、少しは脳みそを使ったどうなのだろうか。
焦竑は民の万暦年間の状元(科挙のトップ合格者)で、当時の中国は現代日本にそっくりだった。つまり、もうこの国はダメだと誰もが知りつつ、手のつけようが無くどうしようも無く、結局自分だけ少しでも生きながらえようと、個人の利権獲得ばかりに目が血走っていた。
あるいは岡田斗司夫の言葉を借りるなら、氷山にぶつかった後のタイタニック号に似ていて、我先にボートへ殺到し、あるいは少しでも浮いていそうな所へ右往左往した。そんな時代に上級国民が、根拠無しにたれた説教を、閲覧者諸賢は真に受ける気になるだろうか。
橐籥冶鑄所用致風之器也橐者外之櫝所以受籥也籥者內之管所以鼓橐也屈鬱也抑而不申之意
橐籥は鍛冶場で用いる空気吹き込み具である。橐は外側の箱である。それで籥を受け止めるのである。籥は内側の管である。だから籥を押し込むと橐に空気をためるのである。押さえ込んで漏らさないのである。(『老子翼』20)
焦竑は橐籥を、トコロテン押しの棒を管のように太くしたものを想像しているようである。ともあれ説教のいちいちに、論拠を一切書いていないのがおわかりだろうか。現代の上級国民が罪亡き人を轢き〇しても、収監もされず〇した理由も問われないのと同じ。そのような、ぜんぜん責任を取らない人間の言うことを、真に受けるのは間抜けだと思いませんか? だったらもうやめようよ。
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