原文
四部叢刊初編
谷神不死,是謂玄牝。玄牝之門,是謂天地根。綿綿若存,用之不勤。
異伝
- 浴神□死,是胃玄牝。玄牝之門,是胃□地之根。縣縣呵若存,用之不堇。(馬王堆帛書・老子甲道經6)
- 浴神不死,是胃玄牝。玄牝之門,是胃天地之根。縣縣呵其若存,用之不堇。(馬王堆帛書・老子乙道經6)
書き下し
谷が神は死な不、是れゆえ玄き牝と謂ふ。玄き牝之門は、是れゆゑ天地の根と謂ふ。綿綿きて存るが若く、之を用ゆれど勤き不。
現代日本語訳
直訳
谷の精霊は死なない、だから黒い女性〇と言ってよい。黒い女〇器の狭い出口は、だから天地の根源だと言ってよい。(生む営みは)続々と続いて(生み出すものがまだ)あるように見え、その働きを用いても尽きることが無い。
意訳
水は万物を育み、その源泉は谷である。その精霊は死ぬこと無く水を生み続け、だからこそ、ものを生み慣れた黒い女性〇に例えることが出来る。黒い女〇器の狭い出口は、だからこそ、天地にあるもの全ての源泉だと言ってよい。その働きはどんどんと続いて絶えることが無く、生み出すものが無くなってしまうことが無いかのようだ。だからこの働きを用いても、尽きることが無い。
訳注
谷神
文字通り”谷の精霊”。谷が水を生んで万物を育むのは知れた話だが、「神」は日本語の”カミサマ”に近く、宇宙の主催者である「天帝」よりやや格が劣る。従って”神”より”精霊”と訳した方が原義をよくくみ取る。
「谷」字を「馬王堆帛書」では「浴」と記すが、〔氵〕”水”+〔谷〕の組み合わせで、こちらも水を絶え間なく生み出す谷のさまをよく現している。
是
”~だから”。「是」の原義は現地に足を運んで「これでよし」と確認することで、単なる”これ”ではない。
謂
”~であると断定する”。単に”言う”ではない。
玄牝
”黒い女性〇”。異性経験が豊富だったり、動物を世話したことがある諸賢にはご存じのことだろうが、女〇器は刺激の反復や女性ホルモンの増加によって色素が沈着する。万物を生み出し止まぬ谷神であれば、なおさら真っ黒であろうと『老子』の筆者は想像したわけ。
門
”狭い隙間”。漢音は「ボン」。「モン」は呉音。漢語の「門」は出入りのためと言うよりむしろ塞ぐものという語感が強い。
天地根
”天地にある万物の根源”。『老子』第一章では、「道」→「天地」→「万物」の順で生まれたとしており、「谷」とその精霊も「天地」が無ければ存在しないわけだから、「天地根」は”天地の根源”ではなく、天地という入れ物の中にある”物質世界の根源”。
綿綿
”いつまでも続く”。真綿を千切ろうとしても繊維がいつまでも切れずにいるように、ずるずると続くさま。
若
”~のようだ”。初出は甲骨文。字形はかぶり物または長い髪を伴ったしもべが上を仰ぎ受けるさまで、原義は”従う”。同じ現象を上から目線で言えば”許す”の意となる。甲骨文から”~のようだ”の意があるが、”若い”の語釈がいつからかは不詳。詳細は論語語釈「若」を参照。
存
(秦系戦国文字)
”~存在する”。漢音「ソン」、「ゾン」は呉音。字形は腕で幼子を守っていたわる姿。『老子』本章は次々と生み出したものが”存在する”のだから、同じ”ある”の意を持つ漢字の中でも、”育み育てる”の語気を含んでいる。
勤
(甲骨文)
”無くなる”。馬王堆帛書が記すように、春秋末期までは「堇」と記し、その字形は雨乞いのために火あぶりに遭ったみこが号泣するさま。おそらくは”燃え尽きる”が原義と思われる。戦国時代以降は下部を「土」と記すようになるが誤伝で、甲骨文までは上記下部の形が「火」と「山」を兼ねていたが、「土」は〔┴〕形に記された。
なお「漢」のつくり「𦰩」も、みこを火あぶりにするさまで、少なくとも周代はじめまでは、雨乞いにみこを火炙る習慣があったようである。
夏,大旱,公欲焚巫尪,臧文仲曰,非旱備也,脩城郭,貶食省用,務穡勸分,此其務也,巫尪何為,天欲殺之,則如勿生。
夏、日照りが続いたので、雨乞いに失敗したこびとのみこを、(魯国公の)僖公は焼き殺そうと考えた。
(家老の)臧文仲「そんなことでは日照りは収まりません。城壁を堅固にして飢えた賊の襲来を防ぎ、食事を質素にして出費を減らし、農耕に力を入れて貧者に配給し、労働力を増すのが、当面のやるべき事です。みこなど焼き殺して何になるのですか。天がみこを殺すおつもりなら、今なおのうのうと生きている道理が無いではないですか。」(『春秋左氏伝』僖公二十一年(BC639))
『史記』貨殖列伝では”すくない”の意で用いている。
豫章出黃金,長沙出連、錫,然堇堇物之所有,取之不足以更費。
予章の地からは黄金が算出し、長沙の地からもざくざくと採れる。スズはごくわずかにしかない鉱物だが、どんなに掘っても足らず、さらに需要がある。(『史記』貨殖列伝23)
余話
現存する最も古い『老子』のテキストは、戦国中末期の「郭店楚簡」甲乙丙で、その内容は本章のように宇宙の原理を説くのではなく、どうすればそれを人間界で利用するかにあった。ただしこんにちの残簡だけから、「戦国時代の『老子』は原理を説かなかった」と言い出すのは危険である。
次いで古いのは、前漢高祖~文帝初期に記された「馬王堆帛書」で、こんにちの『老子』がはじめに「道」=”宇宙の原理”を説き、あとに「徳」”力”=”徳の応用”を説く『道徳経』であるのに対し、順序が逆で『徳道経』の構成であるらしい。
どちらの原資料も手に触れる事の出来ない訳者は、中国の漢学教授が言うからそうなのだ、としか言えないのだが、後漢帝国が滅ぶと『徳道経』が『道徳経』に入れ替わったのには、帝国崩壊に伴う文明崩壊、社会そのものの崩壊という地獄が背景にあっただろう(wikipedia「人為的な要因による死者数一覧」条)。
それはさておき、古来難解だと言われる『老子』だが、筆者は必ずしも難しい言葉遣いをしていない。第一章で宇宙の根源法則に触れ、本章ではそれを記さず「谷神」から話を始めているのには、誰にでも見て取れる谷川のありさまから、自説を理解してもらおうとした工夫が感じられる。
それには道家の支持者獲得という、切実な問題があっただろう。解り易く説かねば、誰も入信してくれないからだ。対して国家宗教の立場にあった儒教は、難しいこと・わけの分からないことを言いふらして、それゆえ尊いのだ、と人々に頭を下げさせた幼稚さを見せつけた(論語雍也篇3余話「宋儒のオカルトと高慢ちき」)。
もちろん道家も、儒教経典や坊主の読経と同じく、わけ分からないから人がありがたがる→お布施を出す、といったからくりには気付いていて、南北朝時代に教団を形成するとわけの分からないことを言い始めた。それゆえ「玄学」”黒い学問”とまで言われたのだが、原点である『老子』はそうでもない。
訳者も閲覧者諸賢と同じく、『老子』の一読者に過ぎないが、かれこれ数十年は漢文を読んできて、手続きさえ踏めば『老子』は難しい本ではないのだと感じている。もちろん「手続き」というのは、一字一句を辞書引きするなどマジメに読む作業であり、どんな権威が語ろうと、その猿まねをすることでは全然無い。
「読者の不可解は筆者の責任と筆者は思え」。
これが訳者の信条であり、もしこの『老子』訳を”難しい”と感じたなら、それはすべて訳者の責任である。
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